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by yuki-hondana 読んだ本の備忘録。 目指せ年間60冊 カテゴリ
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「江戸歌舞伎役者の<食乱>日記」 赤坂治績 新潮社新潮新書 2011年12月
< 鶴屋南北は『独道中五十三駅(ひとりたびごじゅうさんつぎ)』の序幕で、慶政のちに弥次郎兵衛に「旅は喰い物喰らい物」と言わせている。「旅は憂いもの辛いもの」のもじりである。 この「旅」は一般的な物見遊山などの旅だが、食べ物が楽しみなのは仕事で行く役者たちの旅も同じである。旅興業は肉体的にも精神的にもハードだから、「食」に対する感覚は一般的な旅より鋭かったかも知れない。 加えて、仲蔵は「食乱」を自認した食いしん坊である。そのため、仲蔵の自伝には全国各地で食べた物についての記述が多くなったと思われる。役者の自伝としてはいささか異質だが、仲蔵という役者の特徴を良くあらわしている。>(9p・はじめに) 著者は演劇評論家・江戸文化研究家。前進座から「演劇界」編集部勤務を経て独立している人らしい。 本の内容は、幕末・明治の江戸の歌舞伎役者・三代目中村仲蔵(1809~1886)の自伝『手前味噌』から、食べ物に関する部分を、食材や料理ごとにまとめたもの。 三代目中村仲蔵(その前は中村鶴蔵)は、舞踊の家元を母とし、十二代目中村勘三郎(当時は五代目中村伝九郎)に弟子入りし、45歳で名題昇進。時代・世話ともに上手く、脇役として評価が高かったほか、今でも歌舞伎の有名演目の中に「仲蔵がこれを始めた」と解説される演出が残るので、演出の面でも優れていたらしい。 有名なのは、『与話情浮名横櫛(よわなさけうきなのよこぐし。通称:切られ与三)』で八代目市川團十郎演じる与三郎の「羽織り落とし」の演出と仲蔵の蝙蝠安。 江戸の役者ながら、上方に長期間滞在滞在したり、旅興業で各地を回ったりと、江戸から上方の間をかなり旅して回っている。 仲蔵は本来は幕府公認の大芝居の役者なので江戸・大坂・京以外には出られないのだけども、当時は芝居小屋が強制移転させられたり、火事で焼けたりで、旅回りで稼ぐしかないことが多かったらしい。 More
「先生、シマリスがヘビの頭をかじっています! 鳥取環境大学の森の人間動物行動学」 小林朋道 築地書館 2008年10月
< 学生からの電話で開口一番、 「先生、イモリが廊下を歩いています」 といわれた。>(116P) 「3-56 先生、巨大コウモリが廊下を飛んでいます!」の続編。 鳥取環境大学教授(動物行動学、人間比較行動学)の、動物まみれの日常。 More
「20歳からの金融入門」 美和卓 日本経済新聞出版社 2009年5月
< 考えてみると、実際の社会で金融が果たしている役割を勉強するチャンスは、非常にすくないのではないかと思います。小学校から高校までの「社会科」で金融を扱っている部分はごくわずかです。一方、大学の経済学部や商学部に入って勉強する金融は、いきなり難しい数式が登場する理論ばかりになりがちです。金融の入門書といわれる本も、理論の解説か業界動向の説明のどちらかに偏る傾向が見受けられます。>(3P/はじめに) 野村証券金融経済研究所経済調査部シニアエコノミストによる金融入門。 金融業界への就職を目指すも父に反対されて悩む大学生を一応主人公に(最初と最後しか出てこない)金融の基礎を説明するもの。 More
「世の中がわかる「○○主義」の基礎知識」 吉岡友治 PHP研究所・PHP新書 2007年7月
< たしかに「○○主義」「○○イズム」といっても、よく分からない。かつては「主義者」というだけで「共産主義者」「社会主義者」という特定の政治信条の持ち主を意味して、危険視された。 しかし、「○○主義」「○○イズム」は危険思想とは限らない。むしろ、人間の考えはすべてそれで分類できる。たとえば、「主義」なんか関係ない、人それぞれでいいという否定論は相対主義。絶対的な真理なんかないのは懐疑主義(skepticism)。この世などすべて無意味だと決めつけるのもニヒリズム(nihilism)。どのように「○○主義」「○○イズム」から逃れようとしても、結局はその枠内に入ってしまう。>(4P・プロローグ) 著者は東京家政学院大学講師。文章や論理の指導を行っているらしい。 巷にあふれる「○○主義」「○○イズム」をざっくばらんに解説していくもの。 ある程度テーマを決めていくつかの「○○主義」「○○イズム」を揚げ、章末に相関図を示すという More
「ぼくはお金を使わずに生きることにした」 マーク・ボイル 吉田奈緒子訳 紀伊国屋書店 2011年11月
< 丸一年、金銭の授受をしないこと。小切手もだめ、クレジットカードもだめ。例外は一切なしだ。十二か月の間、必要な物や欲しい物があるときは、現金やそれに類するものを使わずに手に入れなければならない。銀行口座は解約した。一年間、金と無縁に過ごしたあと、口座を開き直すのはおそらく難しいだろうが、それも承知の上である。>(34P) 英国在住のアイルランド人の青年が、2008年11月末から1年間、お金を使わない生活を実験し、「フリーエコノミー(参加者がスキル、道具、空間など諸々のものをシェアすることで金銭の授受を伴わずに生活できることを目指す運動)」を広めようとした体験記。 結局1年経過した後も、カネなし生活を続け、日本語版発行時点では、普通の生活への復帰に向かってる所らしい。 著者が実験するに当たって自分に課したルールは以下の通り。 一、「カネなし」の大原則 (上記引用) 二、「フツー」の法則 (オフグリッド(送電網外の生活・エネルギー自給自足)を目指すが、誰かと一緒の場合、相手が使っている者に同乗することを避ける必要はない。例えば、他の人と一緒の部屋にいる時に、相手が空調を使うのを止めたりはしないが、自分だけしかいないときは使わないとか) 三、「ペイフォワード」の法則 (無償で与え、無償で受け取るが、それが回り回って世界がよくなるという考え。何かを交換するときに、そのたびごとに条件を決めて相対交換するバーター取引とはことなり、受け渡しの際に条件を提示しない) 四、「尊重」の法則 (著者が反対しているような、さまざまなエネルギーやインフラを使って生きている人のことも尊重し、状況によっては相手に妥協する) 五、「化石燃料不使用」の法則 (石油、天然ガスを使わない。車も使わないし、友人が好意で送ってくれようとしても、自分のために車を動かすのなら乗らない。但し遠距離を移動する場合に限りヒッチハイクは可) 六、「料金前払いなし」の法則 (実験期間中、請求が一切来ないようにするが、かといって、前払いで済ませておくようなこともしない) というもの。 ここでなんか既にもやもやする人は、本文の詭弁の連続にもっとムカムカすると思う。 More
「「もう、うんざりだ!」 自暴自棄の精神病理」 春日武彦 角川書店角川SSC新書 2011年7月
< ひょっとしたら、自暴自棄とは不条理な事態へ異議申し立てをするために心が作り出した突飛極まる装置と言えるのではないだろうか。不条理を与えてくるのが(抽象的な意味での)神であるなら、神へ抗議するためには自暴自棄という理屈を超えた行為でなければ怒りは届くまい――わたしは気分的にはそんなことを思ってはいるが、それではちっとも論になっていない。酔っぱらいの繰り言と大差はない。 自殺のうち、自暴自棄に由来するものはどれ位の割合を占めているのだろうか。たとえば悲しみや絶望による自殺というものも、結局のところは自暴自棄ということだと見做して良いのかもしれないし、いや、自暴自棄は低次元の低い(?)ものへ還元される筋合いなどないと反論が出るかもしれない。自暴自棄は低次元で幼稚な営みにも思えるし、神聖な振る舞いと解釈することも可能なのである。>(5-6P・まえがき/太字部分は本文では傍点) 「しつこさの精神病理」が、不条理に対して報復という他者への攻撃で対応する心理を取り上げたものならば、こちらは、不条理に対し自暴自棄という自傷的行為、その究極としての自殺で対応する心理を取り上げたもの。 章建ても似ているし、内容の構成も、著者がスクラップしている新聞記事や小説の登場人物の考察が中心とほぼ同じ。 ただ、こちらは雑誌連載ではないらしく、ついでに同じ角川から出ている新書だがレーベルが違う。 角川の新書はいくつレーベルがあるんだろうか。 More
「しつこさの精神病理 江戸の仇をアラスカで討つ人」 春日武彦 角川書店角川oneテーマ21 2010年2月
< 精神科医としての臨床経験から述べると、自縄自縛で自分を不幸にしていくタイプの人がいる。彼らには「自分は間違っていない」という信念がある。論理的で理屈っぽく、何事も収支決算の帳尻が合うことに固執する。被害的で自分ばかり損しているといった感情のもとに思考を進めがちで、また自尊心が高い。 そうした「自分は間違ってない」モードへ常に気持ちを設定しているので、すぐに「許せない!」と苛立つ。あんなことをするなんて信じられない、と憤る。結果として、正義の名のもとに報復をしなければいられない気分に駆られるものの、実際にはなかなかそうはいかない。 それがために鬱屈し、ストレスを溜めこむ。ときには「当てつけ」に近いことをあれこれと試み、しかし大概は独り相撲に終わってなおさら苛立つ。自分は誰からも理解されていないと「拗ねる」。つまるところ、常に自己愛が傷ついている。>(78P) 春日武彦7冊目。 一風変わったというか、ノリの軽いというか、本人が患者よりというか、結構投げやりに見えるというか、そんな感じの著作の多い精神科医。 相当好みが分かれる作者だけど、個人的にはテーマの割に重くなく、押しつけがましさもなく、かなり好きな部類。 ついでにどの本でもほとんど、、精神科での診断名を挙げてこの病気はどうのと語るようなものではなく、日常の人間付き合い、もしくは、日常目や耳にするニュースの中で遭遇する「この人ちょっとおかしいんじゃない?」という感じの人を中心に扱っているので、病気の治療とか精神医学的見地を求めるとがっかりされることが多そうだ。 というわけで「精神病理」と銘打ったこの本もそんな感じで、著者がスクラップしているニュースや、文学作品の登場人物の「異様に見える」行動や心理描写などを中心に、どういう思考回路でそうなったのかを考察するような本。 雑誌「野生時代」での連載に加筆修正したものなのでサクサク読める。 More
「日本人として知っておきたい近代史 明治篇」 中西輝政 PHP研究所・PHP新書 2010年4月
< かつてはどの時代の日本人も、各時代で少しずつ小さな違いはあっても、一貫した国家意識というものを共通してもっていました。昭和の戦争に入っていく時期は、それをことさらに振り回しすぎた感がありますが、逆に戦後は全く触れられなくなっています。戦後生まれの日本人は、学校の歴史教育で「日本とは何か」、という日本観や国家観について教えられることがなくなり、大人になって自分の国についての基本的な知識が欠落しているということを、いま多くの人が切実に感じ始めています。>(13P) 著者は京都大学大学院教授。専門は、国際政治学、国際関係史、文明史。 ということで、明治期に国際関係の面で大きな影響を与えた人物にスポットを当てて、ざっくりとその功績についてまとめた本。 章建てがいかにも雑誌的だなと思ったら、本当に雑誌掲載記事をまとめたものだった。 「歴史街道」2008年6月号~2009年5月号、9~11月号(PHP研究所)が初出。 More
「限界集落の真実 過疎の村は消えるか?」 山下祐介 筑摩書房ちくま新書 2012年1月
< むろん、中心から見ることも一つの経験ではある。しかし本書では、つねに現場(フィールド)に実を置き、周辺の視座を自分自身の経験のうちに獲得する努力を行って、その視座から全体社会に関わる論理を組み立てることを試みた。周辺の視座からは一見ジリ貧に見える限界集落も別なものに見えてくる。さらに言えば、本書の最終的な目的は、過疎地・限界集落を起点とした、現代日本社会批判である。その意味では、むしろ、過疎地に関わる人たちよりも、これまで関わりがないと思っていた人たちに読んでもらいたいと思っている。限界集落と言われる場所に生きている人にとっては、本書の内容は「当たり前」であり、あえて言う必要もないことかもしれないからだ。>(17P/序) 著者は首都大学東京准教授。その前は弘前大学で、青森の過疎地についてフィールドワークを行い、再生事業にも関わってきたとあって、青森の事例を引いたページが多い。 More
「階級都市 格差が街を侵食する」 橋本健二 筑摩書房ちくま新書 2011年12月
<団地の中の異なる建物、大規模団地と周辺の狭小な木造家屋という、違いが目に見える住民の間だけに。分離の欲求は目に見える形をとりやすく、しばしばあからさまな差別にまで発展する。ルイス・マンフォードも指摘したように、異なる階級や社会階層の人々が混住することそのものは、差別や排除を防ぎ、民主主義を定着させるために好ましいことである(マンフォード『現代都市の展望』)。しかし混住が目に見える住宅形態の差異をともなうとき、それは差別の激化につながるかもしれないのである。>(216P) 著者は武蔵大学社会学部教授。専門は社会学(階級論)。 東京を例にとり、住生活の面から格差について考える一冊。 ガチガチの都市社会学から始まってどうしようかと思ったけれど、三章以降は一気に読みやすくなり、フィールドワーク部分はさらに軽くなってギャップが激しい。 More
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