読んだ本の備忘録。
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「なぜフェミニズムは没落したのか」 荷宮和子 中公新書ラクレ 2004年12月
「八〇年代の女は、「意欲」さえあれば、多少の就職先と、周囲の諦めとを手に入れることができた。にもかかわらず、九〇年代以降、「不況」を口実に、フツーの女は意欲を捨て、フツーの女を取り巻く人間たちはふたたび女を、「家事と出産と子育てをさせられる道具」へと戻そうとしている。なぜこうなってしまったのか。」 バブルの80年代にちょうど20才前後だった、団塊ジュニアより少し前の世代を「くびれの時代」と呼び、 男女雇用機会均等法なども制定されて、女性が社会進出し自由を手にしていく中、 女性の解放という点では時流にあっていたはずなのに、 上野千鶴子を代表とするフェミニズムが何故女性の心をつかめずに廃れてしまったのか、を、 林真理子や80年台の「anan」を「フェミニズムのようなもの」として対立させることで、 どこで女性の大多数とフェミニズムが乖離してしまったのか、を考える本。 と書くと非常に仰々しいが、「フェミニズムのようなもの」の代表が林真理子のエッセーなので、 語り口は非常に軽い。 要は、フェミニズムは難しすぎたとか、フェミニズム論者が所詮は学者で視点が男性的になってしまってて、結局女性の実感に沿わなかったといったところか。 むしろ、内容としては、「くびれの世代」と「団塊ジュニア」の意識の差について考えている場面が多い。 80年代に、女性は自分で仕事をして、自分で稼いだお金で好きなことをする自由を手に入れたのに、どうして今更専業主婦願望とか強くなってるの? と。 そんなもの、「くびれの世代」が既に「勝ち犬」と「負け犬」に分かれていて、 「負け犬」はなんか苦労が多いわりにあんまり報われてなさそうだし、 仕事と引き換えに出産とか人生のいろいろなものを投げ捨ててるようにも見えて、 仕事ってそこまではかりにかけるほどのものなんだろうかって疑問にぶち当たってしまったのと、 「勝ち犬」の人生の方がよっぽど楽に見えるから、ではないんだろうか。 とりあえずどうなるかわからない道を切り拓くより、伝統的な幸せを追求しようかな、と。 それと、仕事に対しても「自己実現の為」に結婚後も続ける、というスタンスではなく、 「生活の為」に必要だから続ける、というよりドライなスタンスになったせいもあるような気もする。 周囲を見ているかぎりでは。 前の世代の生き方を見て、その問題点を踏まえたうえで次の世代があるわけだから、 「私達はこうだったのに、あなたたちは何でそうなるの?」と下の世代に問うより 「私達の何を見たらそうなるの?」と問い直した方が良いのかも知れない。 ハングリーさがなくなったといえばそれまで。 子供のときから基本的に男女平等の教育受けてるから、男に対抗しよう!というのも薄いのかも知れない。 壁はぶち破るより迂回する方が楽だし、寄りかかってしまえばもっと楽。 易きに流れる風潮が強いといえばそれまでか。 フェミニズムが女性の権利を拡大した功績は確かに大きいけれど 「女だからって差別しないで!」と「女なんだからいいじゃない」という いいとこどりができる状態が心地良いわけで。 昔ながらの女性が男性に寄りかかって生きてく道の需要はそれなりに多く、 勝手にその道を閉ざしてくれるなという意見との衝突も、フェミニズムが没落した一因かなと。 あと、かつて某討論番組に出てた、直ぐに「男社会は!」と連呼する女性大学教授の存在は、 フェミニストに対する実に地道なネガティブキャンペーンだったと思う。 昔は将来フェミニストになるのかも知れないと思っていたこともあったけれど、 あの人のお仲間にはなりたくないという気にさせられた。 それにしても、出身が田舎で、考え方が10年くらい遅れてるせいだろうか、 自分自身はばりばりに団塊ジュニアのはずなのだけれど、 どうにもバブルの幻影を引きずってる人たちに近いような気がして、何だか微妙な気分になる。
by yuki-hondana
| 2007-07-03 21:52
| 社会
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